現在の環境や育った境遇などで、自分の物差しは出来上がる。

 

語弊を恐れずに言えば、イエスマンを多く配している組織のトップや、何不自由なく(過保護に)育てられた人の物差しは短い。

 

僕は後者だったことを認める。

 

ただ、中学生の時の父親の死と、高校生の時に受けたイジメ(シカト)と、社会人の時の借金(貧乏)経験と、それに伴う周囲の目により、少しは長くなったと思う。

自分の物差しに世間の物差しが追加されたとも言い換えられる。

 

その分、冷静に、客観的になれたと思っている。

裸の王様になりにくくなったとも言える。

 

自分の物差しのみで測っている人は、当然ながら主語が自分であることが多い。

 

それはそれでいいと思うのだけど、論調に偏りが見受けられる。

 

それもそれでいいと思うのだけど、押し付けがましい感じは良くないし、何かや誰かを貶めようとする感じも絶対に良くない。

 

無意識的にそうしている人もいると思うが、大なり小なり、意識的にしている人がほとんどなんじゃないかな。主張し過ぎない感じを装って。

 

いずれ、ネガティブキャンペーンにより優位に立とうとするのは、弱さの露呈だと思う。

 

余計な武装はせずに、「自分はこう思う」だけでいいじゃんね。

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