盛岡市内の或る寿司屋さんは、まわっている割に美味しいのだが、「喜んで!」と言う割に顔が喜んでいない。
それが唯一残念なところ。
いっそのこと、別な掛け声にした方がいい。
外に発するものは内面が伴っていないと薄っぺらく、例えそれが文字であろうと、見る人が見ればバレる。
いつかの僕も、本などで見つけた言葉や偉人の名言を自分の言葉かの如く使っていたが、今思えば相当うさん臭かっただろうに…(恥)
その頃に大変お世話になった社長さんから、
「大介くんの言葉は面白いけど、主語がいつも自分だよね。」
と言われたことを思い出す。
その社長さんに不義理をしてしまうなどの様々な失敗を経て、「あの頃、何も考えずに使っていた言葉はこういうことだったんだな〜」と思えてきている。
このブログ然りだが、経験が伴わない(説得力がない)ことは、いつしか発しないようになった。
フィクションをノンフィクションかのように話すことはない。
ただ、ノンフィクションをフィクションのように話すことはある。