病院やコンビニに一人で行けている母だが、カフェなどの飲食店にはまだ行けていない。

 

でも、家の周辺にはそれなりにある。

 

僕ら家族としては、社会との接点を一つでも多く増やしてもらいたいと思っているので行って欲しいし、本人も行きたい気持ちがある。

 

じゃあなぜ行けていないのかと言えば、どこも入り口の段差が高いからだ。

 

段差へ対応できないことはないが、その高さによる。

10cmくらいになると怖さがある。本人も、家族も。

 

建築のことはよくわからないけれど、構造上、どうしても必要な段差なら仕方ないと思うし、アート、もしくは美意識の領域もあると思う。

 

また、あえて段差をつくり、暗に「体の不自由な方はお断り」としているところがあってもおかしくない。

「子ども連れお断り」という注意書きのあるお店をたまに見かけるし。

 

「弱者に優しくないな」とは思うが、その店のコンセプト(方針)だと思うので、そこにケチをつけるつもりはない。

 

以上の、構造・アート・コンセプトに該当する段差は意味があるものとした場合、それ以外は “ 意味のない段差 ” だと思う。

 

上記のように、意味のある段差への理解はあるので、「いかなる場合も弱者に優しくあれ!」と言っているわけではない。

それは傲慢だ。

 

「その段差により、弾かれているお客さんがいるよ!」と言いたい。

 

また、「弱者に優しいお店の方がイメージ良くなるよ!」とも言いたい。

 

狭い地域で商売する上では特に。

実利的にも。

 

もし近隣の飲食店がスロープを付けてくれるとしたら、母は少なくとも週に一度は行くだろう。

 

仮に注文はコーヒー(500円)のみでも、月に2000円。

年に24000円。

 

まだまだ元気だし、そうでいてもらわないと困るので、少なくとも10年は通うとして、24万円。

 

十分、元は取れるはず。

すぐに壊れるものではないと思うので、維持費はそれほどかからないだろう。

 

母一人で考えてもそうなのだから、効果はきっともっとあるはず。

「母がいつもお世話になっています」として、僕もたまに行くなどの副次的効果もあるだろうし。

 

その点、大手と言われているところはしっかりバリアフリーだったりする。

 

タマゴが先かニワトリが先か的な話になりそうだが、だから大手なのだと思う。

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