奇をてらってばかりいた時期がある。
まともに就職したことがないなど、主流ができないからこそ亜流に頼っていた。逃げていたとも言える。
それはそれで面白がられたりしたが、その場しのぎ感があった。
それから色々と経験をさせていただき、なんとなくながら主流を知ったことにより、奇は奇でしかないことがわかった。それに伴い無駄や余計なことをしなくなり、思考とつくるものがシンプルになっていった。わかりやすくなっていったとも言える。
野球に例えると、明らかなボールをストライクに見せるような小賢しい真似はせず、ど真ん中で勝負する。あるいはストライクゾーンギリギリを狙うようになった。
それは、どこからどこまでがストライクかを知れたからである。
無駄や余計なことをたくさんしてきたからこそ磨かれたこともあり、空振りをさせたい時に投げる勝負球もある。(打たれる時もあるけど)
この記事にしても、もっと肉付けしたい気持ちはあるけど、それは余計。書きたいことを書けたのでこれにて終了。