SNSで流れてきたテレビの切り抜き(マツコ・デラックスの言葉)に唸った。

 

下手に僕が紹介するよりも抜粋する(多少意訳して)。

 

例えば、【結婚 】【出産 】【お金】【美】

分かりやすく「これをしてるか、してないか」「これがあるか、ないか」ってあるじゃん。

それを手にしたかどうかっていうのが幸せかどうかの判断になってるっていうのは「違うよね?」って思いながらも、「それしかねぇんだよな」って思うの。

要は、万人が共通認識できることってそれしかないじゃん。

それをインスタで見せたりして表層的な『いいね』をもらい、それで「私は幸せだ」って思えてるのって、「悲しいよね」って思う反面、「分かりやすいよね」って思うの。

自分が幸福かどうかっていうのは、他者にゆだねているところがすごく大きい気がしていて。

でも、他者を介在させない自分があることが幸せにつながると思っていて。

偉そうなことを言う資格はアタシにはないんだけど、究極、幸福ってなんだって言われたら、他者を介在させずに喜びを得ること。

 

ぐうの音も出ない。

 

これを聞いてパッと思い出したことがあって、小柳ゆきが出始めた頃、僕は「キレイな人だな」と思ったのだけど、みんなそう思っていなかったから言えなかった。

 

これ、完全に他者の介在を前提にしている。

 

あと、自分は気に入っていたとしても、「ダサい」と思われそうだからしない服のコーディネートとかある。

 

これもそう。

 

いずれも以前の話ではあるが今でも名残はあるし、その名残を感じる瞬間がたまらなく嫌だ。

 

ちなみに『いいね』に関しては、ないよりはあった方が嬉しいけど、今となってはそのくらいで、インスタだけで言えばキレイに加工するのも自己満足だし、その他SNSの投稿も日々の残したいことを公開している感じ。このブログ然り。

 

いずれにしろ長い自己紹介をしているイメージで、ビジネスライクな側面もある。

 

それはさておき、24時間365日、100パーセント他者を介在させない幸せを感じることはできないと思うし、それをしている人は、はみ出し者扱いをされ逆に生き辛くなると思う。

 

だから迷惑をかけない程度に、他の誰かにやんや言われようとそれは嫉妬の部類だと思いつつ、いい塩梅に他者を介在させない幸せを感じていきたいと思うのです。

 

ではここで1曲お聴きください。

内田有紀で『幸せになりたい』

 

 

内田有紀、なんだかんだ僕ら世代の最強説。あとエビちゃん。

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