僕は行間を読むのが好きだし、得意だと思っている。
それは本や台詞に限らず、仕事を含めた日常的な会話やメール、SNSの投稿に関しても。
その中で、誰かを傷つけたり不快にさせるネガティブ感情などが行間から伺える時がある。
そういった諸々を僕は「呪い」と言っている。直接的ではない目に見えないものなので。
言葉にしているのが立ち技だとしたら、呪い(行間)は寝技である。
いずれ、「どうしたいの?」って思う。詰まるところ嫉妬なんだろうけど。
自分の中に閉まっておけばいい感情をわざわざ公にする理由は、攻撃か承認欲求か自己満足だとは思う。
著名人がそういった投稿(立ち技)に対して法的手段を講じるとすると、それを削除する傾向があるらしいが、そのくらいなら公にするべきじゃない。
プライベートなデスノートに書き殴っていればいい。
呪いなら大丈夫と思ったらそれは違う。
よっぽど鈍感じゃない限り気づくし、逃げ場があるだけ立ち技よりタチが悪い。
以上を踏まえ、僕はどうか。
行間に思いを込めがちだけど、それが呪いにならないように気をつけている。
でも以前はあったと思う。
今は、呪術じゃなくて魔法でありたいと思っている。